アーユルヴェーダと心理学

 

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茶道とは、作法の本質に迫る

2021.06.01

趣味の世界がひろがって人生が豊かになる

何か趣味があるといいなと頭ではわかっていたものの、仕事ばかりに力を注いできた私には趣味がありませんでした。時間がないから、余裕ができたらはじめようとずっと先延ばししてきました。

そんな私が40代になり、趣味をもとうと思えたきっかけは、アーユルヴェーダとの出会いです。

人生の質、つまりQOLについて考え出した時に、仕事の話しかできない自分につまらなさも感じて、趣味を楽しもうと思うようになりました。とはいってもこの頃は、アーユルヴェーダの学校の立ち上げ間もない時期。本当は時間も余裕もありません。

それでも、とにかくはじめた趣味のおかげで、私は大きな発見をすることができ、多くの方々と出会えました。趣味を持つことが人生をさらに有益で良いものにできていると実感しております。

茶道をはじめたきっかけ

セラピストという仕事は、お客様をお迎えし、体調を伺い、施術をして、期待以上の結果を提供し、満足してもらう、高度な接客業と考えました。

接客業の経験がなかった私が、接客というものの本質を理解しようと考えた時に、茶道を学ぶことが「おもてなしの世界を知る」のにつながると考えたのが、茶道をはじめたきっかけです。

茶道からえた思わぬ副産物

茶の湯を楽しむには、和服は欠かせないもの。肩幅が広く、着物は似合わないという思い込みからさけてきた私が、茶道をはじめることで、自分で着物を着れるようになりました。

着付け教室に1年くらい通って、着付けの資格もいただきましたが、着物は人の目を喜ばせるもの、ちょっとしたパーティでも、自分で着物を着られるようになったことが嬉しさを感じました。

学んでみると着物の織りや染め、刺繍は、世界に誇る日本の伝統工芸、とにかく美しい。こういったことは思ってもみなかった趣味の副産物と感じています。

幸運にも、私は母から何枚もの着物を譲り受けていました。そしてタンスに10年以上しまわれていた着物がやっと日の目を見ることに。着物を着た姿を母に見せると喜んでもらえる。それも、茶道をはじめてよかったと思える瞬間です。

茶道とアーユルヴェーダとの深い関係性

茶道は中国から伝来した文化です。禅宗の僧侶たちが修行の合間にお茶を眠気覚ましに飲んでいたそうです。その由来のとおり、その根底には、「禅宗」、仏教の考え方があり、アーユルヴェーダとの繋がりを感じられます。

「一期一会」や「主客一体」という禅語は茶の湯ではとてもなじみ深い。茶道において向かうべき方向は、自我を超えた他者との一体感なのだと思います。

「掬水月在手」これは、私が一番印象に残り、アーユルヴェーダとの繋がりも感じられる禅語です。

手の中に水をすくうとそこに満月が写っていると言う意味。手の中の月を楽しむというとても風情のある言葉です。

一方深い意味は、水をすくうと、誰の手の中にもその月が写り、遠くにあると感じていた月が自分の手元にある。月の光は仏の慈悲であり、それは誰にでも平等に注がれていてという意味なのだそうです。

アーユルヴェーダの哲学に、宇宙と人間は同じという意味のことばがありますが似たような意味あいを感じました。

もともと茶道は接客を自分の中におとしこみたいと思ってはじめたものでしたが、仏教がベースにあるので、アーユルヴェーダにつながっているということに気がつきました。茶道によって、今までとは違った角度からアーユルヴェーダを学ぶこともできていると感じております。

お稽古のめざすところ

茶道を続けていく上での目標は、お茶事(ちゃじ)ができるようになること。茶事とは、茶の湯において、懐石、濃茶、薄茶をもてなす正式な茶会のことです。

茶事は、茶道精神の集大成であり、究極のおもてなしといわれています。炭を整える事からはじめ、炭が立つまでの間に、お客様に懐石料理を振る舞い、楽しんでいただきます。食後には、濃茶と薄茶をもてなすのが一連の流れです。

何度も繰り返し繰お稽古することでお点前の「型」を身につけ、無駄のない美しい所作ができるようになります。

床の間には花と掛け軸が掛けられ、手紙は墨でかきます。つまり、お茶事をできるようになるためには、お茶を点てる所作だけでなく、花や書道のたしなみも求められてくるということです。

書道というたしなみ

お茶室の床の間には、有名な禅宗のお坊さんによって書かれた禅の言葉が掛けられています。これは、お茶席の中で最も格が高いもの。そこで私は行書や草書で書かれた言葉を読めるようになりたいと思うようになりました。

また、初釜などのお茶会にお招きいただいたお礼も毛筆で書くように教わりましたが、なかなか上手くかけません。

こんなことがあって、書道を習い始めることに。5年くらいお稽古に通っていると、次第に展覧会にも出品できるようにもなり、成長とやりがいを感じられております。

華道は心を癒す瞑想時間

茶の湯の茶花と生花とは多少異なりますが、花を楽しむことにも興味がわいてきました。というのは、私の母が生け花の先生を長いことしていたからです。

母はある意味達人。私が一人暮らしの時、観葉植物を半ば枯らせてしまっていましたが、母の手にかかるとその植物は生き返ります。

この母にはじめて華道を教わったのが大学生時代。運動部に入っていたので、トレーニングに明け暮れる日々を過ごしていた当時の私には、静かに座って行うお稽古を続けることはできませんでした。

それから30年、茶道の流れから自立的に華道を教わるように。

花を生ける間は、他のことを考えず、1時間くらい生けることに集中します。まるで、瞑想しているかのような状態です。綺麗な花は私の心を癒し、生けることに集中している時間は自然とストレス発散にもなっている。とても大切な時間です。

料理初心者が懐石料理にチャレンジ

お茶事を開く目標に近づくために通い始めた料理教室。実は私は料理がそれほど得意ではありませんが、やるなら本格的に習いたいと思い、懐石料理の教室にも通い始めました。

アーユルヴェーダを学ぶとスパイス料理を極める方が多いのですが、私は、懐石料理からも、日本ならではの方法でアーユルヴェーダを取り入れられるとも感じています。

なぜならば、懐石料理は、昆布やカツオ節で出汁をとることからはじまり、食材は季節の野菜や魚を使い、器との調和を意識しながら、綺麗に盛り付けます。とても丁寧で心のこもった、5感を楽しませる料理だからです。

接客を学ぶために茶道をはじめましたが、茶道を学ぶにつれて、華道や書道、懐石料理なども挑戦してきました。そこで感じる事は、経験をするかしないかは大きな差であるということ。

経験をしたからこそ、茶道という世界にアーユルヴェーダの世界とのつながりを感じて、また、そこで交友関係も広がりました。

皆さんもぜひ、興味があることがあったら、あきらめずにとりあえず挑戦してみてください。

今まで苦手意識があったことも、やってみると思いがけない自分に出会えるかもしれません。私は、とても魚をさばく自分など想像したこともなかったのですから。

素敵な趣味を見つけて、健康で美しく生き抜く力を養っていきたいです。

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