皆さま、こんにちは。山田いずみです。
私はアーユルヴェーダとともに、茶道の教えを人生の大切な指針としています。茶室という静かな空間で向き合う時間は、外の喧騒から離れ、自分の内側にある静寂を取り戻すひとときでもあります。
今回は、千利休が遺した「利休百首」の歌を通じて、私たちがしなやかに生きるためのヒントを探ってみたいと思います。
初心の志こそが、真の師
利休百首の冒頭には、このような歌があります。
「その道に入らんと思ふ心こそ 我身ながらの師匠なりけれ」
何事も、その道に入ろうと決意すれば、自ら学び、進んでゆくもの。始めたときの純粋な志こそが、自分にとっての最も立派な師匠になる、という意味の教えです。
この歌は、私がスクールの卒業式で、これから歩み出す卒業生へ必ず贈る言葉でもあります。「明日からは私たちがそばにいるわけではないけれど、学びたいと思って門を叩いたあの日の思いを、常に自身の師として歩んでね」という願いを込めて。
私自身、この言葉に救われる瞬間がありました。 コロナ禍という大きな変化の中で、しばらく書道から離れてしまっていた時期。再開を迷っていた私の元に、書道の先生から秋の書展に向けた構想案が届きました。
本の執筆という大きな節目も重なり、今年も断念すべきか……と揺れていた矢先のことです。その手紙に背中を押されるように、「何とか時間を作ろう」と決意が固まりました。自分一人では立ち止まっていた足を、先生の温かな励ましが、もう一度前へと進めてくださったのです。
惜別のごとく、道具を置く
いざ筆を執ってみると、長いブランクの影響は否めません。自分の雅号である「泉聲」を書くことさえおぼつかなく、焦る気持ちもありました。そんな時、利休百首の九番目の歌が心に響きます。
「何にても置き付けかへる手離れは恋しき人にわかるると知れ」
お茶のお道具を置いて手を離すときは、まるで恋しい人と別れるのを惜しむかのように、余韻を残しなさいという教えです。
お道具に対して、あるいは今この瞬間の所作に対して、どれほどの慈しみを注げるか。書も同じです。先生の恩に報いたいという一心で、作品に向き合う時間。着手できたのは数日前でしたが、試行錯誤の草案を送ると、先生はすぐに助言を返してくださいました。
「もっと時間をかけたい」という未熟さゆえの葛藤は尽きませんが、先生からいただいた「これで行きましょう」という言葉を信じ、今の精一杯を形にしたいと思います。

知恵を生きる、ということ
アーユルヴェーダ、NLP、そして茶道。 これら異なる分野の知恵を、日々の暮らしの中で静かに統合していくこと。それは、激しい変化の中でも凛として、自分らしくあり続けるための「コンパス」を持つことだと実感しています。
伝統の知恵は、決して遠い昔のものではなく、迷ったときに立ち戻るべき温かな場所です。
皆さまも、かつて抱いた「初心」という師に、ときどき耳を傾けてみませんか。 その小さな対話が、いつしか、しなやかで豊かな人生を形作っていくはずです。
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「自らの存在価値を再定義し、人生をより高めていく一助となりますように」

