皆さんは、生きる上で、何か信念やモットーみたいなものをお持ちでしょうか。
私は、15年前アーユルヴェーダのセラピストを養成するスクールをスタートした時に、「健康で美しく生きる人になる」というモットーを掲げました。
それは自分に対するモットーであり、そういう人を増やしたいという思いでもあります。
この言葉は、女性だけでなく、男性にも、老若男女全ての人に伝えたい、めざして頂きたい生き方なのです。
健康であること
まず、健康であるとは、現代医学の定義でいうならば、病気でないということですが、痛みなどの不快症状から解放されている状態です。身体的精神的な不快症状がなければ、いくつになっても、意欲、好奇心をもち、自由に行動することができます。思いっきり働いて、生活に困らないだけのお金も手にすることができます。つまり、健康とは、生きるための基本、必須条件ではないでしょうか。
「美しく生きる」とは?
さらに、美しく生きる?とは、どういう意味でしょうか?
「美しさ」の意味
私は、「美しさ」は顔など容姿だけの美しさにとどまらないと思っています。
たとえば、日本人として、桜を美しいと思いますよね。しかしそれは、見た目の美しさだけでなく、春になって数週間という短い命の中で咲き誇り散っていく、そういった儚さの中にある「潔さ」に日本人は美しさを見い出していると感じています。
それは人も同じ。私たちは見た目の美しさだけでなく、内面からの溢れる「潔さ」、凛とした意識や姿勢に美しさを感じるのではないでしょうか。
たとえば、姿勢がよくて綺麗な人がいたとしましょう。
おそらく、誰もみていないプライベートの空間では、ソファーに横になってごろんとしていたとしても、人前では、美しい姿勢を意識して保っているはずです。場合によっては、筋トレやヨガで自ら鍛えているのかもしれません。
つまり、こんなように、私たちは、自立して、意識して、美しさを保っているのです。
アーユルヴェーダの健康観
これはアーユルヴェーダとつながるところがあると思うのです。
アーユルヴェーダにおける「ドーシャ」。これは生命エネルギーという概念ですが、もともとのサンスクリット語は、汚れやすいもの、乱れやすいものという意味があります。ストレス解消のために、思うままに食べたり、アルコールを飲んだりしていたら、ドーシャは乱れ悪化してしまい、体調を崩してしまいます。
私たちは、乱れやすいドーシャのバランスを日々観察して、自立して早めに対処しておく。そうやって生きていくことで、病気を予防して、いつまでも若々しい姿を保つことができるというのがアーユルヴェーダの智慧と言っていいでしょう。
このようなドーシャの概念を知って生きていくことは、美しく生きることと共通点があります。それは、健康を保つための基準や尺度をもって、自立して、美しい、バランスのとれた健康な状態を保つこと、それが、「健康で美しく生きる人になる」ことではないのかと思います。
「自立」とは
「自立」とは自分の力で生きるということです。
私たちは老いをさけることはできません。20才くらいをピークに少しずつ老化が始まります。ただ、自立していればいつまでも自由でいられます。
病気やケガをすると基本、誰かの助けが必要になってしまいますよね。
高齢社会の日本では、さまざまな対応策が整備されてきました。たとえ社会が暖かく見守ってくれる環境であったとしても、しっかり自立して生きることを基本とした方がいいと思うのです。なぜなら、その方が社会で生きていく上での自由度が大きいからです。
70歳をすぎて、ちょっとした転倒がきっかけで寝たきりの毎日になってしまうより、90歳になっても夫婦や友人とハイキングやゴルフを楽しむ、そういうのって素敵だと思いませんか?私が目指すのはそういう生き方です。
自力で食べる、自力で歩く、人間としての身体機能を維持して自由度を保って人生を楽しむ。それが、私がお伝えしたい「健康で美しく生きる人」なのです。こんな人たちであふれたら、日本の幸福度を高めることにもつながると思っています。
人間にそなわる、桜のような、媚びない美しさは、そういった自立できる力にあると思うのです。